さて本日は客車時代の特急つばめの牽引機と編成表の推移について、まとめを作っておいた。
つばめのNゲージで編成表を探している人など、ぜひ参考にしてみてください。
記事の情報は2020年5月30日の情報です。
特急つばめ 戦前
C51牽引時代のつばめ
1930年10月1日~1934年11月30日
まずは戦前の1930年のつばめである。
当時は東海道線の東京~国府津間が電化されており、通常の列車は東京~国府津間はEF50形が、国府津~はC51形やC53形が牽引していたが、つばめは機関車付け替えの時間を省略するためにC51が東京ー名古屋を通しで牽引することとなった。(名古屋で同じくC51に機関車交換)
つばめの牽引機は
東京ー神戸 C51
つばめの当時の編成表は
C51+ミキ20+スハニ35650+スハ32600+スハ32600+スシ37740+スロ30750+スロ30750+スイテ30720(or スイテ30730 or マイネフ37230)
の7両+水槽車の計8両である。
展望車はつばめ登場直後は落成が間に合わず、マイネフ37230が使用されており、スイテ37230は予備車として用いられていたようである。
先のつばめの編成表は分かりづらいので、現代風に書き直すなら
C51+ミキ20+スハニ31+スハ32+スハ32+スシ37(スシ28でもよい)+スロ34(スロ32でもよい)+スロ34+スイテ48
である。
ちなみに当時は箱根越えがあり、
C53形やD50形が後補機
として活躍していた。
水槽車のミキ20は1932年3月15日からの静岡停車に合わせ、使用されなくなった。
C53 EF53 牽引時代のつばめ(EF55)
1934年12月1日~1943年6月30日
つづいて丹那トンネルの開通・東京ー沼津の電化が完成した時の編成表である。この時のダイヤ改正でつばめは10両編成になった。
つばめの牽引機は
東京ー沼津 EF53(1936年からEF55)
沼津ー神戸(1943年2月15日からは大阪まで) C53
である。
あの
流線形のC5343
が牽引したのもこの時のつばめである。
また、京都ー膳所間で
C11がバック運転
で後補機を務めた。
つばめの編成表は
EF53 or EF55 or C53+スハニ35650+スハ32800+スハ32800+スハ32800+スハ32800+スハ32800+スシ37740+スロ30750+スロ30750+スイテ30720
これも現代風に書き直すなら
EF53 or EF55 or C53+スハニ31+スハ32+スハ32+スハ32+スハ32+スハ32+スシ37+スロ34+スロ34+スイテ48
である。
第二次世界大戦によりつばめ廃止
1943年7月1日をもってつばめの歴史は一旦幕を閉じる。
特急つばめ 戦後
EF55 C59牽引時代のつばめ(へいわ)
1949年9月15日~1949年12月31日~1950年4月9日
厳密にいうと1949年9月15日~1949年12月31日の超特急はつばめではなく「へいわ」なのだが、これも取り上げておこう。
つばめの牽引機は
東京ー浜松 EF55
浜松ー大阪 C59
である。
つばめの編成表は
EF55 or C59+スハニ32+スハ42+スハ42+オロ40+オロ40+スシ47+スロ34(オロ40でもよい)+オロ40+オロ40(オロフ33でもよい)+マイテ39
である。
1950年4月10日~1950年5月10日
短期間ではあるが、スロ60とEF55の組み合わせも見られたようだ。
つばめの牽引機は
東京ー浜松 EF55
浜松ー大阪 C59
なのは変わらず。
つばめの編成表はオロ40が特ロのスロ60に代わる。
EF55 or C59+スハニ32+スハ42+スハ42+スロ60+スロ60+スシ47+スロ60+スロ60+スロ60+マイテ39
EF56 C59牽引時代のつばめ
1950年5月11日~1950年9月30日
これも短期間であるが、EF56が特急つばめのトップに立ったこともある。
つばめの牽引機は
東京ー浜松 EF56
浜松ー大阪 C59
である
つばめの編成表は
EF56 or C59+スハニ32+スハ42+スハ42+スロ60+スロ60+スシ47+スロ60+スロ60+スロ60+マイテ39
EF56 C62牽引時代のつばめ
1950年10月1日~1951年9月30日
1950年10月1日のダイヤ改正に伴い、東京ー大阪間の所要時間が戦前並みの8時間に短縮され、非電化区間をC62が牽引するようになった。
つばめの8時間化に伴い、従来のC59では限界に近いと判断され、つばめの牽引機はC62にバトンタッチすることとなった。
その際、東海道・山陽線に配置されていたC62のうち特に調子のいいものを集め、宮原機関区(上りのつばめ・はとを担当)・浜松機関区(下りのつばめ・はとを担当)に集中配備することとなる。
浜松駅では機関車交換のため、つばめは5分間停止したが、その際にラジオ体操が駅の体育指導員の指導で行われ、これは名古屋電化まで続けられた。
つばめの牽引機は
東京ー浜松 EF56
浜松ー大阪 C62
である。
つばめの編成表は
EF56 or C62+スハニ32+スハ42+スハ42+スハ42+スロ60+スロ60+スシ47+スロ60+スロ60+スロ60+マイテ39
時期不明だがこのころスハ43になる
スハ42からスハ43に変更になる。
つばめの編成表は
スハニ32+スハ43+スハ43+スハ43+スロ60+スロ60+スシ47+スロ60+スロ60+スロ60+マイテ39
EF57 C62牽引時代のつばめ
1951年10月1日~1953年11月10日
特急型客車スハ44系がつばめ・はとに投入され、牽引機がEF57に変更になる。
また、鉄道ファン1975年10月号P25に1953年8月2日にデッキ時代のEF58が牽引したと主張している。(ヘッドマークがなく確証が得られないのだが)
よってつばめの牽引機は
東京ー浜松 EF57(or デッキ時代のEF58(?))
浜松ー大阪 C62
である。
つばめの編成表は
EF57 + C62+スハニ35+スハ44+スハ44+スハ44+スロ53+スロ53+マシ35+スロ53+スロ53+スロ53+マイテ39(or マイテ49 or マイテ58)
EF58 C62牽引時代のつばめ
1953年11月11日~1955年~1956年11月18日
名古屋電化に伴い、牽引機がEF58とC62になる。
この間の1953年12月21日から3等車の号車指定から座席指定に変わり、サービスが良くなった。
つばめの牽引機は
東京ー名古屋(1955から米原) EF58
名古屋(1955から米原) C62
つばめの編成表は
EF58 + C62+スハニ35+スハ44+スハ44+スハ44+スロ53+スロ53+マシ35+スロ53+スロ53+スロ53+マイテ39(or マイテ49 or マイテ58)
EF58青大将牽引時代のつばめ
1956年11月19日~1960年5月31日
東海道線全線電化に伴い、東京ー大阪までEF58が牽引することになった。
牽引機・客車共に淡緑色と黄色に塗られた青大将カラーとなったのは有名な話である。
東京ー大阪の時間は7時間半と戦前を凌駕するに至り、機関車交換のために停車していた米原駅は通過駅になった。
つばめの牽引機は
東京ー大阪 EF58
つばめの編成表は
EF58+スハニ35+スハ44+スハ44+スハ44+スハ44+スロ54+スロ54+オシ17+スロ54+スロ54+スロ54+マイテ39(or マイテ49 or マイテ58)
である。
151系化
所要時間や非冷房であったなど、151系に比べ客車のつばめは見劣りがするようになり、1960年6月1日のダイヤ改正をもって151系に置き換わることとなった。
おしまい。
参照
(1)http://www6.plala.or.jp/orchidplace/Tsubame.html
(2)鉄道ファン1975年3月号P38-54
(3)鉄道ファン2004年5月号P20-27
(4)鉄道ファン1975年10月号P25
筆者注 文献によって二つの異なる事実が書いてあることがありますが、総合的に鑑みて正しいと思われる方にまとめております。もし違うということならコメント欄にてお知らせください。
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